2008年05月22日

【その他】理科嫌いはダメか?

5月16日のサロンド冨山房のサイエンスカフェに参加して考えたこと、その2. 理科嫌いはダメか?

(関連記事:5/21 エントリー【その他】科学を伝えるってなんだ?5/17エントリー 【その他】ぶらり神保町5/8 エントリー【その他】ナビとウインドウ

「人骨の模型、独特の薬品臭、白衣といった理科室の雰囲気に抵抗があった」という小島ゆかりさんという方の記事がScience Window 2008年4月号(自分を見つめる言葉)に掲載されています。

小島ゆかりさんは歌人であり、子供の頃は「理科好きっ子」ではなかった。でも自分の周りから世界を見つめ、JAXAの宇宙連詩に詩を寄稿するなど、科学者ではないけれど、未知と創造とを自身の言葉で表現しています。
「なぜ?」にきちんと向き合って、自分の言葉で答えを見つける作業の豊かさに気づいてほしい」と記事は結ばれています。

今回のサイエンスカフェでも「人間は感動、不思議について誰かに伝えたい、何かに記したいという欲求を持っている動物だ」という紹介もありました。
小島ゆかりさんも「自身の言葉で感じたことを伝えたい」という思いから言葉を紡いでいるのでしょう。
小島ゆかりさんがそうであるように、「理科」という教科が好きでなくても「感じること」ができて、それを表現できれば、受け取った誰かがまた何かを感じ、リレーしていくのではないかと思う。

「理科好き」はもちろんいい。世界のあっちを向いても、こっちを向いても面白い毎日だと思う。でも「理科嫌い」も全然、ダメなんかじゃない。「感じること」ができれば、それを一直線に掘り下げていくもよし、言葉にしてみるもよし、絵にしても、モノを作っても、感じたことをつきつめて考えた結果の行動になるに違いないと思う。そして、その「つきつめて考える」が科学・芸術になる。

小島さんの記事の中でも「「本当の世界は?」「本当の自分とは?」と見つめていく」「科学も文芸も目指しているものは同じで入口が違うだけかなと思います」と記されています。

理科という教科が嫌いでも大丈夫。豊かな感性が科学への扉を開き、また周りの人を不思議とスゴイの世界へいざなうのだと感じました。

サイエンスカフェに参加してナンですが・・・理科嫌いはダメじゃない。感性豊かなら。
そしてその下地があれば、それを入口として科学も含まれるほどの広い世界が広がっていくのではないか・・・と感じました。

ちょっと話題がずれますが、当日のサイエンスカフェで、佐藤氏は「科学は何をめざすか」について言及しました。自分なりの理解でまとめてしまったので、表現にずれがあるかもしれません。
【個に目指す科学】
・日常生活における価値形成と的確な判断=賢い市民
・科学技術に基礎を置いた職業選択の可能性
・知的好奇心と文化としての科学技術に触れ、精神生活を豊かに
・論理的思考による問題解決と事象の背後にある因果関係の発見
・科学技術の光と陰への認識、倫理観形成

【それが集合し全となったとき】
・科学を通じて持続可能な社会を形成
・科学の知見から「地域」「過去・現在・未来」への公平を実現する
・科学の成果を地球規模で、あたたかく活用する


また、今回のサイエンスカフェでの佐藤氏のこんな言葉に叱咤激励をいただいた思いです。
「知らないと言うことを恥じない。人は森羅万象を理解できない。」
科学技術にかかわる記者の心得12ヵ条より。

タグ:科学 理科 嫌い
posted by MiW at 01:00| Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「科学の好き・嫌い」と「科学への興味・関心」とは別物だと感じます.

このレポートにヒントが隠されているかも知れませんね.

●NISTEP調査資料100「科学技術理解増進と科学コミュニケーションの活性化について」
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat100j/pdf/mat100j.pdf

よろしければ,科学技術にかかわる記者の心得12ヵ条を教えてください(上記に掲げられた残り11ヵ条について).
Posted by K_Tachibana at 2008年05月22日 08:04
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